コース順序 彰義門→彰義門案内所→白岳マル→1.21事態の松→青雲台→暗門→曲墻→チョッテ(燭台)岩→粛靖門→マルバウィ案内所→臥龍公園→暗門→市街→恵化門
難易度 ★★★★★
所要時間 約3時間
距離 4,700m
出発地点・彰義門までの行き方
地下鉄3号線 景福宮駅3番出口から出て、緑のバス7212番、1020番、7022番に乗り、ジャハムンコゲ・尹東柱文学館(ユンドンジュムンハックァン)で下車します。バス停すぐ横の階段を上がり直進すると彰義門があります。
開放時間:火曜日~日曜日
夏季(3月~10月) 9:00~16:00、冬季(11月~2月)10:00~15:00
お休み :毎週月曜日 ※月曜日が公休日の場合、火曜日休み
注意事項
※パスポートを必ずご持参ください。
彰義門、粛清門、マルバウィ案内所に入場時、パスポートの提示が必要です。
※写真撮影は指定場所でのみ可能です。
(撮影可能場所:粛靖門、白岳憩いの場、白岳マル、1.21事態の松、チョッテ(燭台)岩、)
※コース内は、禁煙・禁酒、炊事地域禁止です。
※出発後、約2時間はトイレが無いためトイレタイムは先に済ませておきましょう。
彰義門入口から白岳山の頂上まで、勾配の急な坂が続きます。この区間は大統領邸・青瓦台の背後にあたるため、私服軍人が周囲を監視しています。入場時には、パスポートの提示及び、許可証を身に着ける事が義務化されています。
所要時間 30分
距離 約800m
まずは、彰義門前で「『北岳山ソウル城郭探訪』出入り申請書」を作成して、案内所に入ります。
この時、パスポートの提示が必要なので用意しておきましょう。
案内所にて許可証を貰ったら首にかけて入城します。
彰義門
史跡第149号の彰義門は、仁王山と白岳山の境界にある小門で、唯一朝鮮時代の門楼がそのまま残っています。壬辰倭乱によって消失しましたが、1741年(英祖 7年)に建てなおされました。門の名前には「正しいことを浮き彫りにする」という意味が込められています。
案内所の先には城郭の道が続いています。同時に、ここから白岳マルまで急な傾斜が続きます。
ここの道は安全を考慮し、木の階段で造られているため、登りは大変ですが歩きやすくなっています。
この区間は、登り道が大変ですが、漢陽都城全体を通しても一番素晴らしい絶景が見られます。トルゴレ憩いの場、白岳憩いの場で呼吸を整え、景色を楽しみながら登りましょう。
白岳マル ※写真撮影禁止区域です。
漢陽都城内で一番高い地点、標高342メートルあります。
ここから光化門の世宗路はもちろん、漢江や63ビルディングも見渡せます。
太祖の時代、漢陽都城を築くとき工事の区間を97個に分け、各区間に千字文の順に名付けて各管轄に業務を割り当てました。はじまりは『天』、終わりは『弔』ですが、白岳マルは一番初めの『天』の区間にあたります。ここが漢陽都城の起点と言えます。
ここからは、下り坂が続きます。この区間の見どころは、1.21事態の松の木や、曲墻(ゴッチャン)からの見晴らしです。昔のソウルの名残を発見することが出来ます。
所要時間 40分
距離 約 1.2km
道の途中、赤丸の印が付いた松の木を目にすることでしょう。これは『1.21事態の松の木』と呼ばれており、樹齢200年の松の木に15発の銃弾の跡が残っています。
1.21事態の松の木
1968年1月21日、北朝鮮の124部隊と金新朝の他、30人の武装ゲリラが青瓦台を襲撃するために侵入し、韓国軍警と激しい銃撃戦が起きました。その時の銃撃戦の跡が残っており、1.21事態の松の木と呼ばれています。
道端に置かれたままの城郭の一部
無造作に道端に置かれたこの岩は、実は城郭の一部でした。修復の際にこの岩が史跡と気づかず新しく造ってしまい、やり場の無くなった史跡がこのように取り残されています。
1.21事態の松の木、青雲台を通り過ぎ、暗門をくぐって城郭の外に出ます。
暗門を出たところに2本建っているおかしな表情の木像は、この一帯を守る軍が建てた一種のお守りのようなもの。『鉄桶警戒大将軍』と書かれています。
この先に、曲墻(ゴッチャン)と呼ばれる、城郭が一部丸く突出したスペースがあります。
ここからは、景福宮から光化門の世大路、崇禮門まで道路が一直線になっていることがわかります。
この道は風水上、景福宮の背後にそびえる仁王山の清気が流れる道だそうです。
粛靖門まで続く道の途中、チョッテ(燭台)岩と呼ばれる岩を見つけられます。
チョッテ(燭台)岩は周辺の松林と調和し、景福宮をはじめとするソウルの都心が一望できます。
チョッテ(燭台)岩の先にある粛靖門は、ソウル城郭の北大門であり、南大門・崇禮門の「礼を重んじる」という名前に対比し、「厳粛に治める」という意味で名前が付けられました。
人が出入りするための門ではなく四大門の格式を目的に造られており、陰陽の原理から北は陰気の強い方向とされ普段は固く閉められていたと言います。
マルバウィ案内所にて、白岳山のトレッキングはひとまず終了となります。ここが分岐点となるため、標識をしっかり確認して進む必要があります。マルバウィ案内所からは、臥龍公園、住宅街を通って恵化門に行くコースと、三清閣に行くコース、北岳スカイウェイに行くコースが分かれています。
所要時間 60分
距離 2.2km
粛靖門を過ぎて5分ほどでマルバウィ案内所に到着します。首にかけていた許可証も返却します。
ここで、漢陽都城スタンプラリーのスタンプを押すことが出来ます。
マルバウィの由来にはいろいろな説があるようですが、白岳山の末端にあたる場所であることから末(マル)岩(バウィ)と呼ばれる説のほか、乗ってきた馬をこの岩に留めて登るため、馬(マル)岩(バウィ)と呼ぶ説もあります。この地点を境に急な傾斜が続くため、馬を留める岩の説が有力だそうです。
城壁外には展望台があり、ここからぺ・ヨンジュンの邸宅も見ることができます。
よく見ると煙突のようなものがありここを工房に芸術活動を行っているようです。
翠屏
マルバウィ案内所から臥龍公園を通る途中に竹でできた囲いがあります。
朝鮮時代の独特な造形技法で、宮殿や一部の上流貴族の庭園に造られた囲いで、空間をより奥深く、生き生きと見せる効果があるようです。実物のほとんどは消失し、昌徳宮の後苑にレプリカがあります。
臥龍公園を通り、城壁に辿りついたら、城郭の内側に出る暗門を通ります。
臥龍公園を出て右に進み、儆新高校の裏と住宅の間の路地を恵化門に向かって進みます。
この一帯は、城郭がほとんど失われてしまいましたが、儆新中学校、儆新高校、住宅と連なる石垣に使われて残っています。
恵化門まで450メートルほど、真っ直ぐ進みます。
文化資産としての城郭が破壊され、かろうじて、住宅や教会の下に残っているのを見ることが出来ます。
恵化門
漢陽都城の北東に位置する恵化門は、もともとは興化門という名前でしたが、昌慶宮の正門の名前を興化門にしたことから、恵化門に改名しました。築造当初は門楼がありませんでしたが、永祖の時代に門楼が建てられました。1930~40年代に消失し、現在の門は1994年に復元されたものです。
白岳コースは、漢陽都城の中で一番高い山を上り下りしなくてはならないため、履きなれている運動靴やトレッキングシューズと、動きやすい服装で行かれることをお勧めします。
登り坂はきついですが、ソウル随一の風景が眺められます。また、白岳山の城郭は保存状態が良く朝鮮時代そのままの姿を見ることが出来ます。登山が好きな方なら是非一度、挑戦されてはいかがでしょうか?
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