城下町として栄えていた場所に秀吉の隠居用に建てられた伏見城
通常、京都で城といえば二条城ですが、やっぱり天守閣が見たかったので、目的地に選びたいのが伏見城。秀吉の時代、周囲は城下町として栄えていた。
■伏見城の戦い
伏見城を立てたのは、豊臣秀吉です。そもそも秀吉の隠居用に建てられた城ですので、それなりに豪華です。その後、伏見城が歴史の表舞台にたったのが、1600年の伏見城の戦いでした。年号からもわかるように、これは関ヶ原の戦いの前哨戦です。家康の部下・鳥居元忠の守る伏見城を、石田三成の西軍が包囲。城の守りわずか1800人に対して4万人で攻めるという大掛かりな攻城戦で、兵力差を考えればすぐに終わるはずの戦いでしたが、城の守りは思ったよりも硬く、西軍は出鼻をくじかれます。結局は西軍が城の守りにあたっていた甲賀忍者衆を裏切らせることに成功し、城は炎上しますが、最後まで真正面から攻略することはできませんでした。伏見城の攻略に予想以上の時間をかけてしまったことで西軍の戦略は大きく狂い、これが関ヶ原での敗戦にもつながっていきます。
■その後の伏見城
その後伏見城は関ヶ原の戦いで勝利した家康によって再建され、将軍宣下の儀や朝鮮通信使との会見などにも使用されますが、一国一城令に従えば、京都には二条城もあるため、この矛盾を解消するべく廃城を決定。廃れていきます。余談ですが、城あとには桃の木が多く植えられたことから、この地は「桃山」と呼ばれるようになりますが、これが「安土桃山時代」の名前の由来です。信長の安土はともかく、桃山って何?って中学生のころ疑問に思ってましたが、要は伏見のことなんですね。豊臣時代の中心地は、伏見城だったということです。現在の天守閣は、1964年に建てられた遊園地・伏見桃山城キャッスルランドのシンボルとして建築されたもの。この遊園地はのちに潰れてしまいますが、天守閣は残され、今に至っています。ちなみに、この天守閣が立っている場所は、実際にあった場所とはことなり、耐震構造にも問題があるということで、内部には入れません。あたりは小高い山になっているので、てっぺんからならいい景色を眺められたと思うところです。
伏見城の楽しみ方
ここの楽しみ方を紹介してください。
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