昭南忠霊塔の跡地

Syonan Chureit

 0/0人  |  人気指数 3,079

お気に入りに追加:0

日本軍がシンガポールを占領後山下将軍の命令で建立された霊塔

昭南忠霊塔の跡地

昭南忠霊塔の跡地」は、シンガポールに住んでいる日本人の方々もなかなか行かない場所だと思うのでご紹介。

ここは、ブキティマ・ロード(BukitTimahRoad)とクリメンティ・ロード(ClementiRoad)の交差点から、アッパー・ブキティマ・ロード(UpperBukitTimahRoad)を北上。交差点から1kmほど行くと、オールド・ジュロン・ロード(OldJurongRoad)のT字路に出る。右手に古い消防署があるところ。そのT字路からローロング・セスアイル(LorongSesuai)に入っていくのだが、アッパー・ブキティマ・ロード(UpperBukitTimahRoad)からは車で入れない。よって一旦オールド・ジュロン・ロード(OldJurongRoad)へ左折し、その先でUターンし、このT字路へ戻ってくる必要がある。ローロング・セスアイル(LorongSesuai)へ入ると道路は登りながら右手に曲がっていくが、そのコーナーを過ぎると真っ直ぐな登り道になり、そこを上り詰めると幅広のコンクリートの階段がある。階段の手前に駐車場があるので、そこに車を停めると良い。

「昭南忠霊塔」は、日本軍がシンガポールを占領したあとに、山下将軍の命令のもとに建立されたものだそう。日本軍の戦死者のための慰霊塔の他に、連合軍戦死者の為の慰霊塔(木製の十字架)も作られたとのこと。これらは、終戦直後に、日本軍の手により爆破されたそう。今残っているのは、コンクリートの階段のみのよう。階段の途中に、本の形をした戦争記念碑(WorldWarIIMemorial)がある。日本軍がシンガポールに侵攻した時の主な場所に、シンガポール政府によって建設された記念碑で、これはそのうちの一つ。階段の頂上は行き止まりで、通信用鉄塔しかない。階段の頂上から、登ってきた階段を見下ろしたところは、階段しか残っていないので、見所はハッキリ言ってない。興味がある方は、この丘のふもとに、山下将軍が英国連邦軍司令官のパーシバル将軍に降伏を迫ったフォード工場博物館があるので、そちらも合わせて見ると良い。

昭南忠霊塔の跡地の楽しみ方

ここの楽しみ方を紹介してください。

facebook twitter Share on Google+
この記事と同じテーマ(西部・ジュロン・名所)の記事に5名の編集者が参加しました!
Creative Commons — 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 — CC BY-NC-ND 2.1
記事最終修正日時: 
2013.03.07 07:58
※上記の内容は事情により変更される場合もございます。あらかじめご了承ください。