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住所(日本語):
忠清南道公州市錦城洞65-3
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住所(韓国語):
중천남도공주시금성동65-3
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電話:
公山城観光案内所 041-856-3153
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営業時間:
9:00-18:00(冬季9:00-17:00)
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定休日:
旧正月・秋夕(当日)
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日本語:
可
- カード: 未入力
- ホームページ: www.gongju.go.kr/html/jp/culture/culture_01.html (日本語)
日本と関わりの深い百済の古城
役立つ情報
守門兵交代式 | 石碑 | 公州観光案内所 | 体験案内図 |
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毎年4月~10月の土日11:00~16:00に、西門である錦西樓(クムソル)で、守門兵の交代式が見られます。また、王や王妃、将軍などの衣装や小物を提供し、直接参加体験も出来るそうです。※7月と8月は残暑のためにお休みです。 |
錦西樓(クムソル)まで行く入口に、ずらりと並べてある石碑は、牧師さんの石碑だとか・・・ |
錦西樓(クムソル)のすぐ真下にある駐車場に、観光案内所があるので迷わないように最初に訪れておきましょう。地図や案内図がもらえます。 |
城内では百済時代にあった昔の遊びなどの体験ができるそうです。錦西樓(クムソル)を潜ったすぐに、案内図があるのでチェックしてくださいね!! |
他情報
公山城は百済の熊津城で、公州を守護した代表的な城郭である。
城郭の全長は2,660mで外城のを除いたら2,193mである。
現在の城壁は、高さ2.5m幅約3mで朝鮮時代に改築したものである。
公州市内の東北、錦江に架かる錦江橋の右側にあって、北に錦江が流れる海抜110mに位置 した天然の要塞として、東西約800m・南北約400mの長方形をしている。現在の遺構は百済時代の土城を、李氏朝鮮時代に石城に築き直されたもので、百済時代の土城は山頂の東側に一部残されているのみ。現在の呼び名である公山城は高麗時代以降のもので、城内には百済時代の王宮址(跡)や、蓮池、そして李 氏朝鮮時代の創建といわれる霊隠寺や、双樹亭、光復楼そして南門の鎮南楼、北門の拱北楼などが残っている。
公山城の楽しみ方
編集履歴坂を登る手前でチケット売り場あります
一般 1,200ウォン(2010.11.04現在)
コース紹介
西側に設置された錦西樓(クムソル)から、右回りで1周すると、約2時間30分ほどかかるそうです。所々にある門やお寺を、散歩しながら見る事ができます。 |
★南門から西門にかけて歩く♪
鎮南樓(ジンナムル) | 木の枝案内版 | 双樹亭史跡碑 | 双樹亭(サンスジョン) |
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文化財資料第48号に指定され、公山城の南門です。朝鮮時代に、立て直され、この頃は「三南の關門」と呼ばれていました。 |
歩いているとこの様な案内版が所々に・・・ハングルだけど、どっちの方向に何があるのか示してくれています。 |
道指定有形文化財第35号に指定され、李括の乱を逃れ仁祖(インジョン)が10日間非難した場所です。 |
文化財資料第49号に指定され、双樹亭史跡碑と同じく仁祖(インジョン)が、李括の乱を逃れ非難した場所です。仁祖(インジョン)が、双樹にもたれ、王都のことを心配し都に平和が戻ったことを聞き大喜びし、ここで通訓大夫の令を下したとも由来があるそうです。 |
推定王宮址 | 公山城蓮池 | 城壁 | 錦西樓(クムソル) |
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百済が、熊津(ウンジン)に都を移した熊津時代の初期大宮跡と推定される場所です。この場所で、百済の多様な遺物が発掘されました。 |
自然石を積み上げ、円形に造られています。深さ3m、地表面の直径7.3mで底部の直径は4,78mあります。 |
城壁の高さ約2,5m、幅約3mで全長2.660mという長さです。城壁沿いにあるけば、西門から南門にかけては、公州市の町並みが、西門から北門にかけては錦江の綺麗な情景が見渡せます。 |
西門にあたり、1993年に復元されました。駐車場や切符売り場からの最初の門になります。 |