ドラマ「善徳女王」ロケ地+慶州 ツアーのツアー紹介
大長今,許浚,李山などのヒットドラマを製作した MBCの善徳女王の慶州セット場ミレニアムパークと 千年の歴史を誇る千年古都慶州の派手な文化遺産を一日に観光ができるツアーです.
1. 新羅ミレニアムパーク の紹介。
新羅ミレニアムパークは新羅をテーマにした歴史文化体験村で1200年前の新羅家屋体験や文芸村体験や大型野外公演などもあって新羅時代に興味のある人でしたら、楽しむ事ができると思います。
そんな新羅ミレニアムパークに韓国MBCが250億ウォンをかけて制作するドラマ「善徳女王」のオープンセット場が作られました。 もともとあった千年古都地域(新羅時代建築物)に追加で宮廷10棟、キム・ユシンのファラン山砦9連やファラン演武場などが作られました。
セット場以外にもパークのいろいろな場所でドラマの撮影が行われているそうですよ。
2. 慶州 の紹介。
慶州地域は都市全体が「屋根のない博物館」と呼ばれる程、輝かしい文化遺産が散在しています。朝の日差しが最も先に着く慶州は992年間新羅文化の花を咲かせた所です。
新羅は百済と高句麗の文化を吸収融合し、特に唐の文物を受け入れながら独自の文化を形成し、新羅文化の黄金期を迎えるようになりました。
燦爛な仏教文化と新羅人の独創的な文化は様々な芸術的の傑作品を残されました。仏国寺、石窟庵、南山地区、月城地区、大陵苑地区、皇竜寺址地区、山城地区は世界文化遺産に登録されています。
千年古都の歴史巡りと国際的な観光リゾートである普門観光団地を結ぶ慶州の旅は楽しい旅行をひとしお豊かに彩ります。
■仏国寺・ブルクッサ
慶州の吐含山の麓にある仏国寺は石窟庵と共に、護国の念願を達するために新羅第35代景徳王10年(751年)、当時宰相である金大成によって設計、創建されたお寺です。 世界文化遺産に指定されている仏国寺は、現在もスケールの大きな寺院ですが、最盛期の8世紀には総2000間の60余棟の木造建物に成り立った壮大なスケールを誇っていたといいます。 三国統一後、国が最も安定になって文化が栄えた時期に仏国寺は建てられ、仏国という言葉は、すべてが完全に備わった安楽と清潔な国になろうとする願いの意味が込められています。以降、高麗と朝鮮時代に何度か補修・改修が行われながら650年間引き続いた仏国寺は、1592年壬辰倭乱(文縁の役)の際に多くの建造物が焼失しましたが、仏教芸術の粋と讃えられた美しさは今も変わることはないのです。
戦争で国力が傾いた後、崇儒抑仏政策で仏教が弾圧され、新羅の精神を生かすことが出来なくなったのです。 その後、紫霞門、梵鐘閣、大雄殿、極楽殿などがようやく残っていましたが、1969年発掘調査後、無くなった無説殿、観音殿、毘盧殿、経楼、回廊などが1973年の改修工事によって復元されました。仏国寺は、高い築台の上に平地を造成して、そこに殿閣を建てた代表的な伽藍で、寺院を支える基壇石段の整然とした造りと石塔、それに見事な木造建築の美しさか印象的で、石と木の調和が荘厳な雰囲気を醸し出します。
現在の境内は大きく三つの区域に分かれ、各区域は一つの理想的な彼岸世界である仏国を形象化したものです。大雄殿区域は現世仏である釈迦牟尼仏の「法華経」の彼岸世界、極楽殿の区域は極楽浄土を主宰する阿彌陀仏の「無量寿経」の世界、毘盧殿の区域は法身仏である毘盧遮那仏の「華厳経」の蓮花蔵世界を現したものであります。
1995年に世界文化遺産に指定された仏国寺は、新羅の全盛時代の最高の傑作品で評価されています。
■石窟庵・ソックラム
新羅千年の歴史と息遣いがこもた石窟庵は、統一新羅の文化と科学、宗教的な情熱の結晶体であり、国宝の中でも最上なものとして見なされる文化財です。
石窟庵は、吐含山の麓に位置して、仏国寺から山頂に車で約7.5km向かう途中にあります。新羅の景徳王10年(751年)、仏国寺の創建と同様、宰相金大成によって石仏寺という名前で創建されますが、彼が亡くなった後、国が工事を引き受けて完成させたものです。
金大成は、前世の親のために石仏寺(石窟庵)を創建し、現世の親のために仏国寺を建造されたのです。石窟庵は花崗岩を手入れし、それを積み上げてドームの型に築いてからその上に土を覆いかぶせ、まるで洞窟のように見えるように建てられた石窟寺院であります。石窟庵の構えは大きく、前室の四角い空間と丸型の主室に分けられており、主室には本尊仏である釈迦如来坐像と共に菩薩像と十大弟子像が安置されてあり、前室には仁王像と四天王像などが彫刻されています。
石窟寺院でありますが、一つのお寺を圧縮した形となって、寺刹建築が持つ格式を取り揃え、一つの仏国浄土を成し遂げたのであります。圧巻は高さ3.4mの釈迦如来坐像で、花崗岩を丸彫りした仏教美術史上最高の傑作。温和な表情と全体の調和は、まるで体温が感じられそうな存在感があります。
石窟庵が創建されてから、高麗や朝鮮時代には大きな変化なく創建当時の姿を維持して来ましたが、日本の植民地時代の1913年から3回の復元工事が行われ、石窟の全体を解体してから組み立て方が間違ったため、今となっては仏像の位置と石窟庵の正確な構造が全く分からなくなってしまったのです。
石窟庵は湿気が多い自然の障害を乗り越えて、自体的に換気と湿度を調節できる能力を持っていましたが、補修工事の際に石窟の周りをコンクリートで固められてしまって、石窟の内部に湿気がたまる原因となってしまったのです。そして、人為的な換気装置を設置して湿気や温度を調節しなければならない状態に至ってしまったのであります。
韓国仏教美術を代表する世界的な傑作品として認められている石窟庵は、1995年に仏国寺と共に、ユネスコによって世界文化遺産に指定されています。
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